私が25歳の時の初産の子でした
今の長男が後5年したら
私が親になった年齢になる。
なんか信じられない…な。
長男が生まれて
初めて持った鉛筆もクレヨンも
ハサミもお箸も左手だった…
何度右手に渡しても
左手に持ち替えてた
ツムジは2つあり
逆方向に渦を巻いている…
当時保育士だった私の姉には
「この子はちょっと変わった才能がありそうで聞かん坊っぽいね」
と幼少期の頃に言われた
幼稚園に入ると
母の日に目の前で似顔絵を描く
参観日があった
配られた絵の具は
赤、青、黄色の3色
みんな信号の様な色使いの絵に対して
長男の絵はカラフルだった🌈
青と黄色を混ぜて緑
赤と黄色を混ぜてオレンジ
とみんなに無い色を作りだすから
周りの子や先生には驚かれていた
年少の父の日参観日も
みんなやっと書いている
父の顔に対して
長男の描いた絵には
髭やメガネや耳や髪の毛まで
見事に描かれていて
ホンモノが目に浮かぶ様な
顔立ちの絵だった
この子は絵を描くことが好きなのかな
そう感じた幼少期
5.6.才になると物作りにハマり
小さな工房スペースを作って
ダンボール、厚紙、カッター、
ガムテープなど工作品を常備した
毎日そこに座っては
何かを作り出す日々
9歳の時は自動販売機をつくり
ボタンを押すとホントにジュースが
出てきて驚いた
その後試作品、改良品、完成品と
4台の自動販売機が出来上がり
最後はお金を入れるシステムに
なっていてお小遣いまで稼がれた笑
創意工夫が大好きな長男
家で困ったことがあると
相談すると何でも作ってくれて
家事も助けてくれた
そんなのびのび育っていた中で
昆虫や折り紙にもハマり
図鑑ばかり図書館で借りてきて
毎日読書していた
研究者向きだったんだなぁと
今思えば納得できる
そして小4から私立へ編入して
校内に水族館がある小学校へ
色々なことに興味津々な長男は
毎日がパラダイスだった。その後
中学受験を意識した生活へ…
幸い頭の回転が早く
勉学にはあまり困らなかったので
そのまま進学校の中学へ進んだ
しかし中2の秋
僕は美術が好きだから
その道へ進みたい
と言った
それなら進学校にいる必要ないね
自分の時間をたくさん使える様に
また公立に戻ろう!と提案した私
今から美術の道に絞ったら
将来の選択肢が狭まる
このまま進学校でしっかり勉強したほうがいい。学力はあって困ることはない。
勉強から逃げたくて言ってるだけかもしれないから転校は反対。と言った主人
そして、、、
当の本人は、、、
「我が道を行く。やりたい事をやる」
とアッサリ転校を希望
もともと公立の小学校にいたので
お友達も沢山いるし、、、と。
その時はまた戻るという恥じらいより
みんないるから嬉しいという前向きな
長男の姿だったので安心した
逆を言えば
早いうちから自分のやりたい事を
主張してくれたので親としては
応援がしやすかった
高校も公立を受験し進み同時に
美術に特化した予備校へ通った
夏休みは毎日毎日6時間以上
絵を描きその作品は100枚近くになって
いった…
本当に好きなことには没頭するんだなぁと
しかもデッサンや模写のような
あるものを書くより
想像して描くことや
無いものを描く方が得意だと。。。
主人が真っ直ぐの考えなら
私は15度くらい斜め…かな
でも長男はいつも斜め45度上を
超えてくる
想像もつかないことを
左利きの右脳がフル回転して
聡明でクリエイティブな発想で
いつも私たち親を驚かせてくれた
そんな長男の子育てに対して
主人と私の意見はいつも対立し…
真面目で歯科医師の主人は
「学生のうちは勉強することが大事」
「今勉強しないと将来困る」
「社会に出たら苦労するから勉強は必要」
という考え
もちろん正論。長男だし
それに対して私は
「これからは個性の時代になるからやりたい事を尊重しよう」
「本人のやりたい事を応援しよう」
「この子の可能性を信じよう」
とちょうどその頃学び始めた
個性学や心理学
ピーチスノウというコンテンツを用いて
長男の個性にフォーカスして
そこを伸ばす声かけやフォローに徹した
長男14歳。
先のことなんて誰もわからない
親の私たちにも分からない
でも私の中で根拠のない自信はあった
【この子は絶対に天才だ。素晴らしい才能と個性の塊だ】
そう信じていた
だから私は主人にこう言った
『この子は私が個性を最大限に
引き出して個性尊重型で育てます
だから子育ては私に任せて
やりたい事を否定したり
余計な事を言わないでください
そしてこの子が二十歳になった時の
姿を見て感想を教えてください。
その時もし思った方向に
育ってなかったらそこからまた
一緒に修正すればいい
人生は何度だって、何歳からだって
やり直せばいい。道は一つじゃないんだから!』と言った
私にはそれなりの覚悟があった
それと同時に
長男を真っ直ぐ素直に優しい子に
育てる自信もあったし何より長男のことを
心から信じていた
兄弟に対しても本当に優しくて
怒ったことがないくらい
マイペースで、、、
でも自己主張は兄弟の何倍も
強かった!
やらないと言ったらやらない
やだと言ったら絶対曲げない
家庭教師が来ても目の前で寝ちゃうくらい
本能のまま生きていた長男
そんな長男は
好きなことで活動を始め
自分の趣味で道を切り拓き
得意なことで世の中に無いものを作り出したりしている
実は高校生のころから
自分の得意分野でお金を稼いでいた
正に頭脳労働者の仲間入りをしていた
そんな趣味が高じて
発想と技術で応募したクリエイター部門で
全国表彰に選ばれて今年の春には
大阪万博で賞を頂いた
10代で選ばれたのは長男1人だった。
80人の応募の中から4つの部門選ばれ
そのうちの1つであった
それが二十歳を迎える2日前の
10代最後の思い出の出来事。
賞状と賞金を手にした姿を
目の前で見れて親としても
感無量でした
(前夜にフランス🇫🇷から帰国して
翌朝1番に新幹線に飛び乗って会場に駆けつけた!あの怒涛のスケジュールも
しっかり計算されていたように思えた)
そして私の子育てを信じて
任せてくれた主人からは
『あの時個性の勉強をしてくれて
子育てにすぐに応用してくれて
ホント感謝している
子供達は誰も反抗期もなく
明るくポジティブに育ってくれた
メンタルも強く自己肯定感も
3人とも高い。それは、あなたの
育て方が本当に良かった
流石だったね!ありがとう』
と言ってくれた
長男が14歳の時、約束した通り…
二十歳になったその姿を見て
万博の舞台で堂々とスピーチをしている
姿をみて
『こんなにしっかりした大人な
姿になるとは想像もしていなかった
あの時そこまで長男のことを
信じ切っていたあなたは凄い!』と、、、
そして長男からは
『今の僕があるのはあの時のお母さんのおかげ。お父さんに反論して僕のやりたい事を応援してくれたから。お母さんがお母さんじゃなかったら今の僕はこんなに楽しくなかったね』と、、、
改めて感謝の気持ちとお礼を
伝えてくれました
はぁ〜なんて平和な🕊️我が家なんだろうと…
親の覚悟と子供を信じるチカラは
偉大で大切と実感✨
子供はみんな才能の塊。天才‼️
子供だって立派な1人の人間
その個性は十人十色🌈
1人として同じ事はない
ピーチスノウでも5160通りの
個性があると学んだ
色々なことを学び
実践して
体験して
感じて
子育てしながら
親も育ててもらいました
私には長男を育てることが
とっても難しくもあり
(考えてることが理解できないことも多々あった)
楽しくもあり
沢山のことを教えてくれた
20年間だったなぁと
振り返っております♪♪♪
子育てはホント‼️
二十歳になるのはあっという間
だったけど物凄く沢山の
思い出とエピソードがあります
これぞ一冊の本でも書けるくらい
ネタの宝庫だった長男くんの
20年間の歩み…👣
楽しかったなぁー😍
これからも楽しみにしてます😍
二十歳のお祝いはお父さんと
乾杯🍻したい
ということで、、、
初めてのお酒は
ジンジャーハイボールを!
長文お付き合い頂き
ありがとうございました🤲
瑛介‼️二十歳のお誕生日
本当におめでとう🎉
生まれてきてくれて
ありがとう😍
親として選んでくれて
ありがとう😍
ロン毛で
草食系男子
芸術肌で
クリエイティブで
聡明な長男くん
私たち両親の、誇りです♪♪♪
ハーフ成人式の写真も!見てくださいね^^